ポプラ社の坂井社長から手紙が届いた。「原口一博総務大臣(当時)が二〇一五年から小中学校でデジタル教科書を導入すると発表したが、とんでもないことだ。教育について議論がなされないまま教科書のデジタル化が一人歩きを始めている。デジタルの利便性ばかりで教科書をデジタル化してよいのか。ポプラ社は田原総一朗氏の『緊急提言!デジタル教育は日本を滅ぼす』を出版する。」という内容であった。
ある政治家がネット上で知り合った人に「フェイストゥフェイスで話をしよう」と集まってもらった。ところが、皆んなの一言が短いうえに誰もなかなかしゃべらない。「顔を合わせているときもツィッターのやりとりがいい。」という笑うに笑えないことになった。
学校の教育は「正解」と「間違い」を教えるだけではない。例えば、数学の教師が自分と数学との出会いから心から数学に惚れるまでの経緯やその面白さを熱っぽく語る。そこから生徒の数学熱に火がつく。また、正解以外の答えがまったく評価されない教育では想像力、創造力が育たない。稲盛和夫氏は「世の中に失敗というものはない。チャレンジを諦めた時にそれは失敗になる。」という。
社会で取り組む問題のほとんどに正解はない。正解のない問題を解くには想像力を発揮し、コミュニケーション能力を駆使して徹底的に論じ合わなければならない。そこからいくつもの答えが出てくる。いくつもの答えを論じ合うなかで取り組みが定まってくる。
学校も同じである。デジタルで自己完結の形で正解が出るようになっては、せっかくの異分子がいてもぶつかり合いもなく、刺激もし合わない。こんな教育では人間を豊かにするどころか、どんどん貧弱かつ単純にしてしまう。
今こそ教育とは何かを徹底的に論じ、子どもの「何のために勉強するの?」に答えてやらなければならない。物的資源の乏しい日本にとって一番重要なものは人材である。子どもたちが夢、希望、抱負を持って生きていけるように導いてやることが、教育にとって最も大切である。学校の教師ばかりでなく、広く皆さんに子どもの教育について考えていただきたい。