『無理』 奥田英朗 文芸春秋 1,995円
『ヘヴン』 川上未映子 講談社 1,470円
『「いい人」をやめると楽になる』 曽野綾子 祥伝社黄金文庫 600円
家がみしみしと揺れた。明け方近く外に出ると、見たこともない暴風が吹き荒れていた。伊勢湾台風並みといわれた十八号は、猛威をまざまざと見せつけたけれど、この程度の被害で収まったのはもしかしたら幸いだったのかも(と思ったくらいの、凄まじい嵐)。秋は天気も変わりやすいというけれど、人の心も変わりやすいものである。
奥田英朗の新作『無理』は、ふとしたはずみで人生を嵐に巻き込んでしまった人々を描いた群像劇である。舞台は、東北の寂れた地方都市。鬱屈を抱えながら生きる5人が陥った思いも寄らぬ顛末が描かれる。県庁への復帰を待つ市役所職員、保安員をクビになり新興宗教にのめりこむ中年女、ヤクザと癒着する市議会議員、インチキ商売に邁進する元暴走族、都会生活に憧れる女子高生。(物語はそれぞれが平行して進み)誰もが些細なことから(不幸はなぜか不幸を呼ぶもので)揃って人生を暗転させてゆく。引きこもりに家庭内暴力、生活保護に詐欺商法、世襲政治、遺産相続、老老介護、カルト宗教と、社会の歪みや問題も孕んでいて、みな心の余裕を失くし善意を忘れてしまっているかのよう。それが身につまされる痛々しさを伴って訪れる(何が善で何が悪なのか、言い切れない部分も多分にあったりする)。徐々に追い詰められていく人々の心の動きや描写が実に巧みで、それでいてどこか可笑しさが漂うあたり、まさに一級のエンターテイメント。それぞれの運命が劇的に重なり合うラストは、圧巻である(表紙のイメージがラストシーン)。
美貌で(も)誉れ高い作家の中身は、哲人である。『ヘヴン』は、暴力を題材にして人間の善悪を問う衝撃作。「ロンパリ」と呼ばれ斜視で苛めを受けている十四歳の僕。格好が不潔で同じく苛めにあっている同級生のコジマと心を通わせていく物語。何をされても受け入れることで〈ヘヴン〉にたどり着こうとするコジマの、弱さの中にある強さは強烈で圧倒的だ。途中、苛める側の百瀬と苛められる側の僕との会話の遣りとりの場面が、この物語の白眉。(執拗な苛めも凄まじいのだけれど)哲学的な問いかけこそが、凄まじい。百瀬は苛めの意味すら否定し、斜視がゆえに標的とされたことも否定。苛められる側の気持ちはと尋ねても「人はそれぞれ違う世界に生きているのだ」と、罪悪感すら否定する。百瀬の「すべてのことに意味はない」との反問に、僕はどう答えられるのだろう。
僕は、コジマが何度も好きだと言ってくれた斜視を治せるかもしれないと告げる。その代償は心の支えを失うことでもあるのだけれど。それにしても僕とコジマの惹かれあっていく場面は悪くない。手紙を交わしていく下りもみずみずしい。大きな感動を持って読まれる作品であると思う。
理不尽なことの多い世の中で、こんな風に考えれば生き方が楽になるという本が俄然注目を集めている。十年前に刊行された作家曽野綾子の言葉を集めた箴言集『「いい人」をやめると楽になる』は、数々の著作の中からエッセイを抜粋し収録したもので、縛られない、失望しない、傷つかない、重荷にならない、気負わない、他人の目を気にしないなど、人はあるがままでいいという処世訓の数々がちりばめられている。
《いい人をやめたのはかなり前からだ。理由は単純で、いい人をやっていると疲れることを知っていたからである。悪い人だという評判は容易に覆らないが、いい人はちょっとそうでない面を見せるだけですぐ批判、評価が変わり棄てられる》
なるほど、言葉の処方箋。建前を否定したその姿勢のひとつひとつに感銘をうける。
台風一過の朝、大きな虹が架かっていた。嵐には人生を脅かすほどの力があるかもしれないけれど、ひとつの言葉には、そんな人生を救う力もある。 (は)